大学時代に友人と「ハンス・ベルメール」(*1) の画集を見ては、「美術の世界に比べて、なんて演劇は遅れているんだ」と嘆いたものだ。
確かに生身の肉体を使う舞台芸術は、アイデアにおいても表現においても、先鋭的な美術の世界に比べて現実のしがらみから逃れられないのは事実だ。また舞台や写真などは、性的な表現にも当局の規制がかかるのもやむを得ないだろう。
ただどうして美術の分野では、あからさまな(と言っても芸術に高められた)性表現が許されるのかは謎である。
もしかして現在では許可されていないかもしれないが、少なくとも当時、半世紀くらい前の出版業界も含め、その規制の緩さは脅威的ではある。
別に性的な表現に興味があるわけではないのだが、もとよりダリを筆頭に、ルネ・マグリットやマックス・エルンストなどシュールレアリズムの絵画ばかりを見て来た20歳前後の青年にとって、羨望にも似た感情を抱いたのも分かる気がする。
そのハンス・ベルメールが、球体間接人形の写真を世に送り出したのも確かこの頃である。少なくとも日本に入ってきたのはその頃だと思う。これに澁澤龍彦が最初に興味を示し、例えば四谷シモンが衝撃を受けて自分の仕事に組み入れ、多くの人形作家が世に送り出された。
現代、日本ほど人形作家を輩出している国は他にない。
僕は20歳の頃には、球体間接人形に特別な関心は示さなかった。ただし、西洋ドールの持つ怪しげな雰囲気や、市松人形とかある種の日本人形の持つ謎めいたたたずまいには興味がなかったわけではない。
それは思うに、人形(ひとがた)が、どこか人間の魂と言うか、心を潜在的に持っているからだろう。
圧倒的に女性の人形が多いのは何故か?
それは普通の女の子がかわいがる対象として、と言うか、少女が自分を母親として意識する最初の段階で、おままごとと同じ感じで、あるいは着せ替え人形と同じ感覚で人形に接するからであろう。
まさに「かわいい!」である。
ところで男性の人形愛好家は、人形に何を見るか?
これはうかつには言えないことだが、どうしても性的対象として見ているのかも知れない。
つまり、その人形に対し恋愛感情を隠し持っている。
本来の恋愛が苦手な青年が、現実と違って、自分の思い通りになる人形の方に惹かれる。
今でいえば、フィギュア愛好家の「おたく青年」にその影を見る。
大人の女性を恋愛対象にする外国の男性には分からないかもしれないが、確かに日本青年は、その傾向が著しい。アイドル文化にしても日本特有な感が無きにしも非ずだ。勿論、ジャパンカルチャー(サブカル・「かわいい」文化)が世界を席巻している今日この頃では、日本だけの現象と呼べないかも知れないが。
もしかしたらどんな男性の心にも存在するものかも。
でも、まだまだ人形が好きだと声を高らかに宣言するのは憚れるものが、この国にはある。
(*1)ハンス・ベルメール(Hans Bellmer, 1902年3月13日 – 1975年2月23日)は、ドイツ出身の画家、グラフィックデザイナー、写真家、人形作家。
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Jin Tadano
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