人形と男とバレリーナの恋物語(3/3)【コラム】

 

江戸川乱歩が描いた人形に溺愛する主人はじめ、多くの作家が挑戦している男性と人形との禁断の愛。

また澁澤龍彦の「人形愛について」という評論に限らず、稲墻足穂などのまあ、ちょっと変わった作家たちが取り上げる妖艶な世界を舞台上に表出できれば、20歳の頃には考えられなかった「舞台芸術でもこんなことが出来るんだ」という思いを実現できるのではなかろうか。

 

一種の復讐だ。

 

物語は、「人形に恋した青年」というテーマで始まる。

かも知れない。その後の展開は、色々とある。皆さんにとっては異様な世界かも知れないが、僕にとっては、ある種のパターンとも言えるストーリーになってしまい、その事に満足できずに、何かもっと驚くような展開を望んで、そのままになってしまっていた。

今回もしかして実現の可能性があるかも知れないとなって初めてプロットを考えなくてはならないのだが、バレリーナの存在をどこに持ってゆこうかと考えた時に、一つにはその人形と生き写しの人間の女性として描くもよし、二人の関係を冷たく見つめる「運命」として描くもよし、人形に恋した男を誘惑する存在として描くもよし、とにかく色々なことが考えられて、まだまだ練る時間が必要だ。

 

人形:池田祐美

 

また、壊れかけていた人形を愛しているうちに、その愛が通じて、人形に心が宿り本当の彼女(バレリーナが演じる)になったように錯覚する。勿論最後は悲劇的な結末が待っているだろうが。など、バリエーションがあり過ぎて、一つのストーリーに絞り込めずにいるのだが、どれも僕には面白い話の筋だ。

セリフも歌もないパフォーマンスを考えるとなると、どうしても音楽の力が絶大になる。

この変態的(?)なストーリーを描くことのできる作曲家とか、既成の音楽を使うにしても、各シーンにふさわしい音楽を見つけることのできる音楽プロデューサーを探さなくてはならない。いや、僕の伝手で誰かいい音楽家に出会う自信はあるのだが……。

大正ロマン館との出会いの日に、僕はバリトンサックスの音色が響いたら、あの空間に相応しい世界を表出できるのではと言う第一印象を抱いた。勿論、音楽の専門家の意見を尊重すべきだが、きっと満足の得られる響きに出会えるに違いない。

そこで繰り広げられれる、人形と男とバレリーナの物語。
考えただけでわくわくが止まらない。

 

 

 

さて、この実現には予算立てが必要なことは重々承知しているが、これ、予算を組むのがかなり厄介だ。

未確定要素が多いうえに、キャスティングの問題も、稽古時間や稽古場所の問題もある。
全部こちらの人間で出来ればいいのだが、僕にはそこまでの勇気がない。
ただ、この作品の実現に向かう中で、折れるところは折れるつもりではある。

それでも、実現が不安視、疑問視されたガラコンサートの成功は、それでもクオリティの低下を嫌い、あくまで一流のものを求めた結果だと思っている。

今回も夢に向かって、不可能に向かって邁進する覚悟です。

 

▼過去のコラムはこちら

 

【コラム】人形と男とバレリーナの恋物語(1/3)

 

【コラム】人形と男とバレリーナの恋物語(2/3)

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Jin Tadano

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東温市は古い上着をなかなか脱ごうとしないそうだ。でも本物の文化は受け入れるだろう。時代は変わり、新しい風が吹き始めている。若者の間に芽生えたこの風潮をしっかりと受け止め、東温市発信のアートを広めたい。

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