クラシックの歌に関しても【コラム③】

 

前回、僕がクラシック嫌いだったことを述べましたが、中でも歌に関して言えば、今でも取っつきにくい感はぬぐい切れない。僕がミュージカル、しかもミュージカルナンバーとしての歌が一番好きな演出家であるのに、なぜ? と、自分でも不思議に思うのだが、その違いとは何だろうか?

オペラなるものが17世紀初頭にイタリアで生まれ、そこから喜歌劇と呼ばれるオペレッタが発生し、それがアメリカに渡ってミュージカルになった。こんな簡単な経緯でないことは百も承知だが、とにかくミュージカルがオペラから派生したものであることは論を待たない。ある人がうまい事を言いました。「オペラは演劇の力を借りた音楽であり、ミュージカルは音楽の力を借りた演劇である」と。確かに、僕のような芝居畑からの人間には頷けるものがある。

しかし、何年も前にヨーロッパでオペラ好きの添乗員に連れられて、リヒャルト・シュトラウスの『ネクサス島のアリアドネ』を観に行った際、出演者のタチアナ・トロヤノスとレリ・グリストの二人のソプラノの歌に何か感じたのだろう、帰国して二人の出ているレコードを探したところ、なんと出演者二人だけのオペラ(正確には室内カンタータと呼ぶらしいのだが)を発見。

題名はアレッサンドロ・スカルラッティ作曲の『エンディミオーヌとキュンティア』と言う作品。男女の恋を描いているのだが、面白い事に女性役がドラマティックのトロヤノスで、男性役がコロラトゥーラのグリストだった。なんか逆のような気もするけど、とにかく針を下ろした瞬間から、弦楽合奏と二人のソプラノの織り成す、得も言われぬ美しさに心を奪われてしまい、ほとんど毎日のように聞いてました。

ただ、コロラトゥーラの歌唱に関しては、完全に技巧的であり、演劇とか心情とかが入り込む隙間もないほどで、これって先ほどのオペラとミュージカルの定義を完璧に裏切ってますよね。ま、だから人生は面白いってことにしておいてください。

それと、レリ・グリストなんですが、その後レナード・バーンステインと何かのオペラで一緒になり、『ウェスト・サイド・ストーリー』のブロードウェイ盤で『Somewhere』のソロを歌っていることが判明。嬉しかったァ。あと、ミュージカルの歌の基本であるヴァースとリフレインの関係、オペラで言えば、レチタティ―ヴォとアリアの区別が、これほど分かりやすいのも驚きで、その後の僕のミュージカル人生に非常に役立ったことも付け加えておくべきだろう。

ミュージカルの歌い方という難しい課題にどう取り組んでいくべきか。大きな問題だが、世の中は矛盾に満ちており、僕の音楽の趣向も矛盾だらけ。そう、もし歌い方に正解があったら、これほど長く関わってはいなかっただろうし。

 

▼前回のコラムはこちら

運命のニ短調【コラム②】

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Jin Tadano

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東温市は古い上着をなかなか脱ごうとしないそうだ。でも本物の文化は受け入れるだろう。時代は変わり、新しい風が吹き始めている。若者の間に芽生えたこの風潮をしっかりと受け止め、東温市発信のアートを広めたい。

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