僕が演劇青年だったのは、およそ半世紀前である。18歳で桐朋の演劇科の門をくぐり、これまでに書いたようにそこで、前衛的な絵画に出会い、クラシック音楽の洗礼を受けたわけだが、演劇の勉強も並行してやっていた。当時は、早稲田小劇場や状況劇場や天井桟敷などの、世に言う「アングラ劇団」華やかかりし頃で、新劇のお芝居よりも魅力的に映ったものである。
また、わが国の舞台ではベケットやイヨネスコなどの所謂「不条理演劇」が幅を利かせていて、僕もどれほど影響されたものか。そして、その頃の演劇青年が大切にしていた、まさに教科書の如き演劇論の書籍があった。

どれも外国人の書いたもので、ピーター・ブルックの『なにもない空間』、ヤン・コットの『シェイクスピアはわれらの同時代人』、マーティン・エスリンの『現代演劇論』、アントナン・アルトーの『演劇とその形而上学』、そしてイェジュイ・グロトフスキーの『実験演劇論』の5冊である。
アルトーの本は、その後書名が『演劇とその分身』と替わったのだが。演劇を志す今の若い青年には、聞いたこともない本かも知れないが、僕らにとっては演劇を考える上で避けて通ることが出来ない本達であった。
今わが国では、どちらかと言うと日本の劇作家の書いた芝居が主流になっている。翻訳劇などはもう古いのか? 僕はその後、ミュージカルの世界にどっぷりはまり込み、演劇の世界とは非常に遠い場所に身を置いているので、よく分からないのが実情だが、今挙げた5冊などまるで関係ないところ活動している、20代や30代の演出家や作家たちは、何に感化されて、何を良しとして舞台を作り上げているのだろうか?
東温市に来て、ミュージカルばかりでなく、舞台芸術全般に視線を注ぐようになったおかげで、東京にいる時よりも、芝居が身近に感じられている。そんな中、先日ある芝居を見た後、突然、何十年かぶりにお芝居をやりたくなった。どう関わるかは未定だが、ジャン・ジュネと言う作家の『女中たち』という芝居だ。ジュネは泥棒作家と呼ばれているが、本当に職業が泥棒で、牢屋の中で書いた小説や戯曲が有名になった作家である。この芝居の面白さはまたいつか書きたいと思うのだが、『女中たち』を思い出したことも東温市に来た賜物である。
僕は桐朋を卒業して、早稲田小劇場に入り、その後ミュージカルに進んだ変わり種である。節操がないと言われればその通りで、信念がないのかと問われれば返す言葉がないが、色々と渡り歩いてきたお陰で分かることも多いはずだ。
そして、この5冊の教科書が、今の僕の血となり肉となっていると信じている。
いや、信じたい! いや、信じさせて……!
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Jin Tadano

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