利賀村は遠く(2/2)【コラム⑥】

 

僕の記憶の柱になるのは、勿論利賀村での本番の様子。

列車やバスを乗り継ぎ、何時間もかけて来場してくださった全国の観客の皆さんたちの姿であり、その後の、劇場での打ち上げでの劇団員やお客さんたちの晴れやかな表情だったりだが、確かに、2000円くらいのチケット代としても、足代も合わせると相当高い出費が必要だ。いや、日帰りは無理だから、どこかで(利賀村には当然のごとく宿泊設備などは一切ない)泊まらなくてはならない。そこまでして、早稲小の芝居を見に来てくれる殊勝な観客がいるのだろうか? 忠さんには成功する絵が見えていたのだろうか? 多分大きな賭けをした筈だ。それは村の人たちのも同様で、本番当日、典型的な過疎村に全国から多くの観客が集まり度肝を抜かれたようで、劇団を見る目もだいぶ変わったに違いない。

もう一つ今でも鮮明に覚えているのが、約1か月前から合掌造りの民家に入り、文字通り寝食を共にしながら劇場作りにはげんだ日々である。芝居作りではない、劇場づくりである。舞台に充てられた部屋の床を毎日、それこそ黒光りするまで磨いた思い出だ。1からではないが、劇場を作るという事に情熱を傾けた日々。早稲田の頃もそうだが、同じ空間で稽古を重ね、本番に臨む。現代の劇団が貸しホールなどで、時間や機能の制約を受けながらやるのと比べて雲泥の差だ。「劇場に棲む」ということに重点を置いた劇団。白石加代子さんのセリフの声に合わせてテープを出す時の、手がビビッて震えるような緊張感。そして、周りの空気と共に息づくような演技。あれは貸し館でやる芝居とは根本的に異なる。現在わが国で自分の劇場を持っている劇団がどれくらいあるだろうか? アメリカでは作品ごとのプロデュース公演が主流だが、ヨーロッパでは、モスクワ芸術座にしろ、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーにしろ、劇団と言うより、劇場が主体である。しかし、それを真似た新劇では、俳優座劇場や三百人劇場くらいしか自前の劇場を持っていない。新劇を衰退させる原因なのだろうか。

日本では、赤テントや黒テントなど、どの場所でやっても、テントを張れば同じ空間が作れるという利点を生かした劇団が生まれた。勿論サーカス小屋からヒントを得たのだろうが、状況劇場の人気が高まるにつれ観客を入れるために、不忍池の公演では赤テントが開かれ、テントが単なる背景に成り下がってしまったのは残念である。閉じられた空間での神秘的な、背徳的な芝居が懐かしい。

緊張感と言えば、早稲田の稽古場にいる頃の稽古で、忠さんと劇団員との間に強いバリアが引かれ、まだ新人の僕たちは、体を低くしてもその間に入っていくことが出来なかったのを覚えている。役者と演出家の真剣勝負。その後、ミュージカルの世界に身を置き、稽古に参加した時の落胆は大きかった。ノホホンとして緊張感のない稽古。今はもう慣れてしまって何も感じないし、ミュージカルを悪く言う気はさらさら無いが、あの時の逆カルチャーショックは大きかった。

新劇、アングラ、ミュージカルと渡り歩いて、でも、本拠地を持つか否かが問われている。この東温市でそれを可能ならしめるために……えっ、坊っちゃん劇場があるだろうって? ……ですよね。それはそうなんだけど……!

 

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Jin Tadano

東温市は古い上着をなかなか脱ごうとしないそうだ。でも本物の文化は受け入れるだろう。時代は変わり、新しい風が吹き始めている。若者の間に芽生えたこの風潮をしっかりと受け止め、東温市発信のアートを広めたい。

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