自作自演の歴史的録音【コラム④】

 

そろそろ本来のミュージカルについて書けばいいのだろうが、その前に演劇についても書きたいし、クラシックの話もまだ物足りないし、ま、でも、もう一つ音楽の話を。

 

ピアノロールというのをご存じだろうか? 円筒形のオルゴールのようなものに録音をして、その際にできた突起物がピアノの鍵盤を叩く。自分で書いててもあやふやなのは承知だが、よく言う「自動ピアノ」。演奏者がいないのに、勝手にピアノが音楽を奏で出す、あれです! 実はあれが貴重な録音を世に残してくれていたんです。

例えばブラームスの自作自演の演奏。ブラームスというと、バッハ・ベートーベンと並ぶドイツ3Bの一人。古い作曲家だとばかり思っていたんだけれど、19世紀末まで生きていれば、そして自分の演奏を後世に残したいという心意気(?)を持っていれば、自演の録音にありつけるわけです。確か僕の家にあった筈なんだが、今はもうどこに行ったのやら……。もっともその演奏は歴史的・資料的価値はあるものの、別に感心するほどのものではなかった。

ところがモーリス・ラベルの演奏する「亡き王女のためのパヴァーヌ」は実に素晴らしい演奏で、その後に現れた有名なラベル弾きのピアニストの演奏より、僕はずっと好きだ。上手いとは言えないんだろうけれど、朴訥とした味わいと、その美しさは深く心に突き刺さるものがある。

 

 

ラベルと言えば、有名な「ボレロ」を自ら指揮したレコードも持っていたが、誰かに貸してそのまま消えた。でも、この曲の入ったCD(に焼き直したもの)は家にある。同じくドビュッシーのも。「水の戯れ」とか入っていたっけ。自分では演奏できないコレクターの性でしょうね、変なCDを集めるのは。

 

歴史的録音と言えば、ジャズの世界には色々面白いものがある。その日のライブの素晴らしさのことを、本で読んだり、話では聞いているが、まさか何十年後かにひょっこり耳にすることが出来るなんて……みたいな録音だ。お客さんが個人の楽しみ用に海賊録音していたものが、どういう経路を辿ってか突然陽の目を見ることがある。僕らにとっては嬉しい限りだが、貧しい音の中でも演奏者の気迫みたいなものが感じられて……そう、権利問題は無視しよう。でも、CDになるからにはパスしてるんだろうか。

 

ショパンのピアノ演奏、パガニーニのヴァイオリン演奏、もし、そういう自演ものが聴けたらどんなに素晴らしい体験ができるか、考えただけでも興奮する。もっとも、聴けないからいいんじゃないか、想像するしかないから価値があるんだと言われたら、その通りかもしれない。ただ、演奏家はどう思うか分からないけれど、単なるファンとしては、聞いてみたいと思うのが本音のような気がする。

 

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Jin Tadano

東温市は古い上着をなかなか脱ごうとしないそうだ。でも本物の文化は受け入れるだろう。時代は変わり、新しい風が吹き始めている。若者の間に芽生えたこの風潮をしっかりと受け止め、東温市発信のアートを広めたい。

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